憧れる大人
もうすぐ僕は30代になる。ふとこんな大人のおっさんになりたいという、妄想をする事があるのだが、最近その退屈な妄想にドロップキックしてきた人が現れた。それは皆大好き、みうらじゅんだ。僕はコンビニで毎週プレイボーイを立ち読みする。それはみうらじゅんと宮藤官九郎の対談連載『大人になってもわからない』が読みたいからだ。以前からプレイボーイの全体からにじみ出る、バカさ具合が好きで読んでいたが、最近になりみうらじゅんに僕はカッコよさを感じて(これまでなら、みうらじゅんに憧れてるなんて人を見るとおそらく「みうらじゅんを好きとか言ってる自分を通ぶっててハイセンスなんて思てるだけやろ」と思ってたかもしれんが)、ふと「憧れる大人」の共通する部分が解ったような気がした。
それは「しっかりとした知性と品の土台ができていて、その上で自分の本当にやりたいスタイルで動いている」という点。『大人になってもわからない』の文章内は中学生の様なテーマが主体なのだが、全く下品でなくてむしろ品があり切り口も知的で、むしろ高尚な文章に感じ、いつもコンビニでニヤニヤしながら立ち読みしている。
ちなみにみうらじゅんの他には所ジョージであったり木梨憲武・柴田恭平・堤真一などにぼんやりと憧れを抱いているが、その面々に囲まれている自分を妄想すると、ひよっ子過ぎて逆にドロップキックをかまされそうである。
兎にも角にも、ペラッペラな大人にはなりたくないなと思うのです。