長谷川健太

※元々、去年にほぼ書き上げてた文章だったが、完了してなかったので今年の始まりに書き上げたいと思う。

 

2017年9月、長谷川健太監督の契約満了が発表された。

僕はガンバサポであり、(元々故郷のJクラブなので愛着が非常にあったが、)熱心に応援するきっかけになったのは2012年シーズンのJ2降格が決まった磐田戦だ。

当時、土曜日のその試合を会社のテレビで横目でなく正面目に観ていたのを冗談抜きの今でも思い出せる。

そしてその夜、同じくサッカー好きでヴィッセルサポの友人と呑む約束があり、「俺はこれからガンバを応援していくから、お互い1年でJ1昇格しよう!!※ヴィッセル神戸も当時J2降格が決まっていた」と飲みの席で息巻いたのも冗談抜きに思い出され、そんな最中ガンバ再建を託されたのがセホーンだった、と言うのは冗談で長谷川健太だった。

そこから長谷川ガンバの成り上がりっぷりはまぁ見事でJ2優勝の1年でJ1昇格、翌年昇格後即の国内タイトル3冠を達成。その翌年はACLでベスト4(東地区準優勝)に加え3年連続カップ戦決勝進出と、輝かしいもの。

しかし昨シーズンあたりから限界説が囁かれるなど、しだいに歯がゆい試合が多くなっていった。

チームは生き物であり成熟度の波は必ずあるけれども、プロである以上結果を残してナンボの世界なので、解任は妥当、なんなら早く辞めてくれとさえ思った時期もあった。

けれどもホーム最終戦、セレモニー挨拶の際に長谷川健太へ浴びせられたブーイングの嵐を観ているとなんとも悲しい気持ちが込み上げた。

そもそもJリーグをまともに観戦した事がないトコから始まり、まずはゴール裏に通いつめて、リーグ優勝決定を観るためにアウェイ遠征したり、ACL準々決勝のロスタイム弾でそこらじゅうのオッさんと抱き合ったり、酔っ払った勢いで新スタジアム募金をしたり、宇佐美のラストゲームを観たりと長谷川ガンバの思い出は枚挙に暇がなく、本当に僕の青春で、それらは長谷川健太がいなければなかったかもしれない。

 

最終的に僕にとってはプロなんだからどうこうの不満よりも、そんな青春を与えてくれた感謝の方が強い今回の退任劇になった。

本当にこれまで有難うございました。